続・運動会に来てくれなかった母の話

先日書いた記事がわりと反響があり、たくさんコメントやメッセージいただきました。
ありがとうございます!
「自分も同じ思いだったから救われました」
「愛し方を伝える方法は工夫しないといけない」
など、様々なご意見をいただきました。
子供が、親に愛されていないと感じてしまわないよう私たちも気をつけないといけないですね。
私は18で家を出ましたが、やっぱりその18年の間には色々ありました。
子供を産んで初めて母の気持ちがわかったくらいですから。
いろいろな意見を拝見して思うことがあります。
大人になっても母親からもし愛されていないと感じている、その事が自分の人生に多大に影響を与えるならば
まずその人自身が母親から卒業してもいいんだよって・・・
もし伝えられるなら伝えたいなって・・
それくらい母親の存在は確かに大きいんですよね。
でも、子供の一生を決めるのは、そして私たちの一生を決めるのは、母親では無いんじゃないかな。
って思うんです。
もちろんそのためには自己肯定感が必要ですし、それは子供のうちからあったほうがベストですけど、手遅れではなくて、いつでも育めるし、誰がそばにいたって、自分を好きになることはできると思っています。

親が子供の人生を決めるという言葉は重くて、
でも、それが当たり前になっているのがいまの社会で。

そのためにはやっぱり国全体で子供を見るという仕組みや親だけに責任や負担を背負わせない姿勢が必要だなと思いました。

今のお母さんたちは本当に頑張ってますね。
私も、まだまだ、子育てに関しては悩むことだらけです。
私はけして良い母親ではないし、私のできることでしか愛情を伝えることができません。
写真を撮ってあげること、楽しい思い出をできる限り作ってあげること。
そんなことしか出来ません。
それでも子供達、特に小学2年生のお姉ちゃんにはきっと寂しい思いをいっぱいさせています。
自分にかかってくる言葉で胸が痛むのは、根底にきっと罪悪感があるから。

保育園に入れてたら「早くから預けて可哀想」
専業主婦は「社会性が持てなくて可哀想」
一緒に仕事をしても「親の都合で子供を振り回して可哀想」

と言われます。

私は全部経験したから全部言われましたが、一番刺さる言葉がきっと一番子供に対して罪悪感を感じる部分なんでしょう。

だから反論したくなったり、泣きたくなったりするんでしょうね。








きっと、私たち大人にも自己肯定感が必要で・・・
そのままでいいんだよと言ってくれる人が必要なんだろうと思います。


それを言ってくれる一番身近な人は
実は私たちの子供なんですよね。

「そのままのお母さんで大好き!」
って全身で求めてきてくれます。


どっちが、育ててもらっているのかわからないですね(笑)

そんなことを考えながら、今日もえいちゃんと一緒に事務所まで出勤するのです。