大賞
【講師になる前→なってからの自身の生活や心の変化を「Before→After」形式で教えてください】
講師になる前の私は孤育てをしていました。
遠方から北九州に嫁いだため周りに友人もおらず、
主人は長期出張でほぼ不在。
生まれたばかりの娘と2人だけの生活は
癒しばかりではなく、むしろ、
社会から断絶されたかのような疎外感を抱いていたし、
赤ちゃんのお世話という同じことの繰り返しの毎日に
楽しみを見出せずにいました。
そんな中、娘が生後3ヶ月の頃に
おひるねアートと出会い世界は一変しました。
撮影会の会場で出会うママさんたちとの会話や
講師であった小川ふみこ先生とのやりとり、
赤ちゃんを「可愛い可愛い」と声に出して喜べる雰囲気、
すべてが癒しでした。
私の鬱屈した気持ちは一掃され、
撮影会に参加することがその頃の私の生きがいとなったのです。
そしてその後、私も講師になるのですが、
それによってさらに世界は広がり、
『孤育て』から私自身の『個育て』になったと思っています。
協会への帰属意識、講師仲間とのつながりは
精神的な支えとなりましたし、
また何よりお客さまとの出会いは私に自信をもたらしてくれました。
こんな私でも誰かの役に立てるのだと。
お客さまは「佐藤先生」「あやこ先生」
もしくは「きりん先生(笑)」と呼んでくださいます。
講師になる前はただひとりの主婦であり
「娘ちゃんのママ」だったのが、
私という「個」を再認識できたように思います。
【講師になってよかったことは何ですか?】
お客様や講師仲間との出会いによって、
私を取り巻く世界がより彩り豊かなものに様変わりしたことは
もちろんのこと、
仕事観について考えるきっかけを
与えてもらえたことだと考えています。
我が家の夫婦間の話になります。
講師になったばかりの頃、私は猪突猛進で盲目的でした。
アートづくり、チラシ、ブログ、顧客管理など、
やることは盛りだくさんで日々追われていたのです。
そんな私を見て、主人からは「スマホばかり見てる」
「家族で話す時間が減った」と注意を受け、
挙げ句の果てに「おひるねアートの仕事をよく思っていないから」と
宣言されてしまいます。
また例えば、撮影会の日を間近に娘が発熱。
主人に見てもらえないかと聞いてみたら、
「おひるねアートの仕事のために俺が会社休むの?」
実家に預けたならば、
「病気で苦しむ子どもを置いていって平気なの?」
そんなセリフを吐かれたこともあります。
そもそも『家事、育児を疎かにしないこと』が
講師育成を受講する上で主人から与えられた条件だったのです。
苛立ちや悔しさを噛み締めながら、でも言い返すこともできず、
それ以降は主人の前ではおひるねアートの話題を出すことなく
活動を続けてきました。
そして3年目の春のこと。
おひるねアートコンテストに応募しようと
私はアートづくりに躍起していたのですが、
うまくいかずスランプに陥っていました。
締め切りまであと数日という中で、
いったん白紙に戻そうと全部取り壊し、
まっさらになった青い背景布をぼーっと眺めていたのです。
部屋の隅で体育座りしながら(笑)。
「もう無理かな」と半ば心が折れていました。
そんな私を仕事から帰宅した旦那が見つけ、傍観した後、
無言でリビングに去っていったのです。
そうしてしばらく経ってからアート部屋に戻ってきました。
どうせ「もうやめなよ」なんて言うんだろうなと覚悟しました。
ところが、予想を反し
主人が差し出してきたものはなんと、ラフ画でした。
「こんなふうにすればいいんじゃないの?」と。
注)旦那のほうが私よりずっと絵心があります(笑)
そして「諦めるなよ」と。
そんな言葉は初めてでした。
すごく驚いたし、とても嬉しかったのです。
おひるねアート講師の仕事を初めて認めてもらえた気がして。
主人の発言を一方的に書いてしまいましたが、
家事、育児に協力的で理解のある優しい夫です。
変わるべきは私の意識のほうでした。
私は自分がどう働きたいか、
講師としての自分の在り方を思い描けていなかったのです。
だから、主人に咎められ勝手に罪悪感を抱いたり、
収入の多寡を気にしたり、
他の講師の働き方と比較しては落ち込んだりしていました。
『私はおひるねアート講師としてどのように働きたいのか』
コロナによる自粛生活の中で
夫婦でお互いの働き方について話し合う機会も増え
(喧嘩もしましたが(笑))、
私に必要だったのは家事と育児、そして仕事、
自分にとって最良のバランスを見極めることだと気づくこともできました。
私には5歳の女の子と、もうすぐ2歳となる男の子がいます。
正直なところ、子どもたちが幼少期の今、
育児、特に娘の療育に専念したいという気持ちが強くあります。
でも、講師の仕事も諦めたくないのです。
なぜなら、私がおひるねアートに救われたから。
おひるねアートの仕事は喜びや楽しさを
お客様に提供するサービスでありながら、
講師である私もお客さまから笑顔や活力をいただける仕事でもあります。
撮影会を終えた後、私は高揚しています。
お客さまの笑顔を見れた満足感でいっぱいで、
そして、私も母として、妻として、ひとりの人間として、
また頑張ろうという気力に満ちて。
でもだから、講師も続けたいのです。
欲張りなんですけどね。
4年の活動期間を経てようやく、
私は自分なりのペースをつかめた気がしています。
どんな職業であっても同様の見極めは必要だとは思うのですが、
特に講師業は自分で主体的に動かなければ何もできない仕事でもあります。
その意味で、自分のワークライフバランス、
ひいては自分自身の可能性について
これほどまでに悩み考えるきっかけを与えてもらったのは、
おひるねアート講師になったからこそだと有り難く捉えています。
【お客様と日々接する中でもらった嬉しかった言葉や特に感動したエピソードがあれば教えてください】
コロナ禍により撮影会が開催できなくなった今年は、
おひるねアートコラージュ企画や協会のオンラインセミナー、インスタライブなどに
積極的に関わらせていただきました。
その中で全国のお客様からコラージュのお申し込みをいただき、
本来であれば遠方で参加できなかったはずだけれど、
コラージュの企画のおかげで先生のアートをお願いすることができて嬉しいです
といったお声を多数いただけたことはすごく励みになりました。
『おひるねアートでママを笑顔にしたい』
その想いがあれば
お客さまに喜んでいただくことは
どんな形であれ、実現できるのだと感じました。
【あなたにとっての「おひるねアート」とは?「おひるねアート協会」とは?】
前述から推測できると思いますが、私、よくブレるんです(笑)。
例えば、娘の療育でつまずいた時、
体調を崩した時、他人と比較して自己嫌悪感を抱いた時など特に
この働き方でいいのだろうか
講師としてどう活動すればいいのだろうか
などと迷走したり、立ち止まることも度々ありました。
でもそんな時でも、協会は決して揺るぐことなく
確固たる理念を掲げ、私たち講師を先導してくれています。
それは私にとっては頼もしいものでした。
講師としての存在意義を見出してもらえているというか。
講師の仕事は楽なものではなく、
もし個人で活動していたら早々に挫折していたかもしれません。
協会が適宜に舵を取り、
また時に「それで大丈夫」と優しく後押しをしてくれる、
だからこそ「おひるねアートを通してママに笑顔を届けたい」
という初心を忘れることなく
私は講師を続けられているのだと思っています。
あと、講師と協会の代表がこれほど近い関係の団体って
他にないんじゃないでしょうか。
代表らしくない素振りで何かしらひょこっと顔を出しているし、
直接話ができる機会も多いし、
webミーティングではいつも何か食べているし(笑)。
フラットな関係性も我が協会ならではの魅力かなあと思っています。
【これから講師になろうと思っている方へひとこと】
矛盾するようですが、
例えば講師になりたいと思っているとして、
最初から講師になった後の道筋を明確に決めていなくてもいいんじゃないかと思うのです。
働いていく中で自分のスタイルを模索していってもいいのではないかと。
コロナにより働き方にも大きな変化が見られました。
しかし今年に限らず、これからも我が身を取り巻く環境は変わっていくのです。
特に女性は、子育てをメインに担当する立場という意味合いにおいて、
出産や子どもの成長とともに働き方を変えざるを得ない場合があります。
私も今は育児に重きを置きながら講師業を続けていきたいと思っていますが、
子どもたちが成長するにつれ考え方も変わっていくでしょう。
でもじゃあ、今後の自分の人生をどう歩んでいこうかと考える際に、
その選択肢のひとつに『おひるねアート講師』という仕事があることを
私はとても幸せに思うのです。
新たな一歩を踏み出すのは勇気のいることです。
でも、ひとりじゃない。
そう思わせてくれるのがおひるねアートであり、おひるねアート協会でもあります。
講師業に惹かれた気持ち、やりたいと思った直感を大切に、
挑戦することによって広がる豊かな世界を
是非一緒に楽しんで欲しいなあと願っています。